文学の一燈

~せめて小さな“ともし火”をともそう~

高村光太郎 「智恵子 抄」 非情の純愛 絶対孤独への反証

 「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた」―日本文学史に永遠に残る愛の絶唱であろう。歌った男の名は、高村光太郎。歌を贈られた女は、妻、智恵子。この日、智恵子は、七年にわたる精神病と肺結核とにより、ついにこの世を去った。世を去った? いや、そんなごまかしはやめよう。そんなお決まりの慣用句で、この夫婦の愛を語ろうというのか。逃げてはいけない。愛は非情だ。その非情さから逃げてはいけない。僕は、非情の言葉で、この夫婦の愛を語らねばならない。正直に語れ。然り。智恵子は、殺されたのだ。誰に? 無論、智恵子の最愛無二のひと、光太郎に。智恵子は光太郎に殺された! 何故に? なぜなら、ふたりは愛し合っていたから。夫は妻を狂気させるほど愛し、妻は夫を文字どおり死ぬほど愛した。ふたりは愛し抜いた。そしてふたりが愛し抜いた先には、狂気と死とがあった。その愛を殺人と言わずして何と言おう。愛は非情だ。愛の究極は殺人に至る。故に、愛と死とは同義語である。

 妻、智恵子。福島県二本松の造り酒屋、長沼家の長女として何不自由なく育ち、東京の日本女子大に進学、そこで洋画に出会う。智恵子は洋画の魅力に心を奪われ、芸術生活に没入した。大学卒業後も実家の反対を押し切って東京で洋画の猛勉強を続け、平塚らいてうの婦人運動にも参加し、「青鞜」創刊号の表紙を描くなど、新進気鋭の女流画家として歩み始めていたその時、知人の紹介で光太郎と出会うことになる。当時の光太郎は無頼の放蕩児であった。ニューヨーク、ロンドン、パリに留学し、世界の最新芸術に触れて帰朝した光太郎にとって、木彫の名人とされる父、高村光雲に代表される日本美術界は、超克すべき前時代の旧弊な遺物であると同時に、打てども叫べども微動だにせぬ圧倒的権威であった。自らの無力感から逃避するかのように光太郎の日常は荒廃した。飲んで暴れて、浅草の女給に通いつめ吉原の娼妓に失恋した。智恵子が出会ったのは、そういう時期の光太郎であった。そしてたちまち、ふたりは恋に落ちるのである。それまでインテリ臭いサロンの常識人的な芸術家しか知らなかった智恵子にとって、触れる者の皮膚を切り裂く尖鋭なナイフのような孤高孤独の光太郎の姿は、芸術という観念を粘土にして人の姿に捏ね上げたような芸術の化身に思えたであろう。そして光太郎もまた、その荒廃し汚濁した心身を、智恵子から溢れ流れる無垢の信頼と愛情の奔流によって浄化されるのである。智恵子は光太郎に熱い恋文を送り、光太郎の写生旅行先まで追いかけてきた。光太郎もまた、智恵子に出会えた無上の喜びを歌いあげた。「あなたは私の為に生まれたのだ 私にはあなたがある あなたがある」と。

 旧本郷区駒込林町のアトリエ兼住居で、光太郎智恵子の同棲がはじまる。そのアトリエは、ふたりきりの空間であると同時に、ふたりを外の世界から隔離する言わば「結界」となった。アトリエの壁の中は、ふたりだけの聖なる異世界であった。そこには外界にうごめく愚かで汚らわしい人間どもの姿も、その人間どもの繰り広げる醜悪な痴態愚行も、そういう不愉快なものはいっさい存在しない。その清浄な異空間には、ただふたりの愛し合う男女があり、ふたりだけの高い理想があり、ふたりだけの情熱があり、そしてふたりのめざす芸術があった。光太郎智恵子の生活は芸術に純化した。光太郎は高らかに宣言する。「僕等は高く どこまでも高く僕等を押し上げてゆかないではゐられない 伸びないでは 大きくなりきらないでは 深くなり通さないでは ―何といふ光だ 何といふ喜だ」と。

 もっとも、ふたりの芸術的生活は窮乏した。新しい着物を仕立てることもできなくなった智恵子は、いっさいの装飾をその身から捨てて、髪もおかっぱに短く切り、粗末なセーターとズボンだけで日常を過ごすようになった。けれども、それがかえって智恵子の生来の美しさを際立たせることになった。そのことを光太郎は驚きとともに賛美する。「あなたが黙って立ってゐると まことに神の造りしものだ。時時内心おどろくほど あなたはだんだんきれいになる。」と。光太郎はむしろ窮乏の境遇を喜んでいるのだ。あたかも窮乏こそがふたりの芸術的生活の純粋さの証しであるかのように。そしてそのような窮乏の中でさえも輝きと美しさを増す智恵子を神の造形として礼賛し崇拝するのである。光太郎にとって、純粋な芸術をめざす者は世俗の富貴を享受してはならなかった。窮乏と、その果てにある餓死とが、芸術家のあるべき運命であった。光太郎は、「私達の最後が餓死であらうといふ」不吉な予言を智恵子と語り合って、むしろ幸福を感じている。光太郎は、生涯にわたって、死と隣接する窮乏生活への憧憬を抱き続けた。青年期の北海道移住計画、智恵子とともに半生を過ごした駒込アトリエでの窮乏生活、そして戦後の岩手の山村での独居自炊。光太郎は、生涯を通して常に窮乏している。まるで窮乏しなければならぬかのように。光太郎にとって、芸術は金銭とは両立しないものであった。特に造形作家である光太郎にとっては、この世にひとつしかない作品を売買して金銭に換えることは、すなわちこの世に存在する唯一の美を、金持ちの所蔵庫に監禁することにほかならなかった。光太郎は自分の作品を金銭に換えざるを得ない現実を嘆く。「所有は隔離、美の監禁に手渡すもの、我。」と。けれどもそういう光太郎自身が、智恵子という唯一無二の美を、異空間のアトリエの中に監禁して、誰の目にも触れさせることなく独占して鑑賞する喜びに恍惚としていたのである。光太郎は、智恵子の心身を、おのれの芸術的理想を体現する芸術作品として監禁し、鑑賞し、堪能した。そして智恵子自身もまた、光太郎が求める理想のままに、一個の芸術作品であろうとした。生身の芸術作品である。智恵子は、旧友たちとの交友関係も絶ち、外界との交流を途絶して、光太郎とふたりだけの異空間の芸術生活に一途に献身し続けた。窮乏にあえぐ日常生活をやりくりする主婦として生きながら、同時に光太郎の理想を体現する芸術作品として生きた。

 しかし、生身の芸術作品として生きることの苦悩は、ついに智恵子の心身の限界を超える。いや、いっさいの人間の限界を超えるであろう。「人生は一行のボオドレエルにも若かない」と芸術至上主義を宣言した芥川が自殺したように(昭和2年)、「芸術は私である」と結論して自らを芸術と一体化しようとした太宰が自殺したように(昭和23年)、生身の芸術作品として生きようとした智恵子もまた、昭和7年、睡眠薬で自殺を図る(46歳)。智恵子の自殺未遂の原因として、実家の破産、あるいは自らの絵画の才能への絶望等が挙げられることが一般的である。光太郎自身も後年の手記でそのように記している。が、僕はそうは思わない。それらは原因の一部であったとしても、主要な原因ではない。智恵子を死ぬほど苦しめたものとは、彼女をおのれの理想を体現する芸術作品として崇拝し、監禁し、一体化しようとする光太郎の芸術的激情であり、すなわち光太郎の智恵子に対する愛そのものにほかならない。その愛は、純粋であり、熾烈であり、過酷であり、そして非情であった。智恵子は、その非情の愛に殉じようとした。生身のままでは芸術作品になれないのであれば、生身の体を捨てるしかない。その夜、千疋屋で買った果物をテーブルに配置し、イーゼルに真白のカンバスを立てかけて、智恵子は催眠剤一瓶を飲んだ。死後、生身であるが故の束縛を捨てて自由な魂となって、その静物画を描くつもりだったのであろう。が、智恵子は死ななかった。そうして、その後、精神病(統合失調症)が進行する。智恵子の自殺未遂に衝撃を受けた光太郎は、智恵子の回復のために全力を尽くした。それまで光太郎は入籍という世俗的な婚姻手続を無視してきたが、同棲二十年にしてようやく智恵子を入籍した。ふたりは名実ともに夫婦となった。九十九里浜への転地療法も試みた。父光雲の死去(昭和9年)で得た遺産もすべて智恵子の治療に充てた。ここにおいて光太郎ははじめて、智恵子をおのれの芸術的監禁から解放し、世俗的な夫としての愛情を妻智恵子に注いだのである。九十九里浜の松林の一角に立って「光太郎智恵子光太郎智恵子」と一時間も連呼するようになった智恵子の狂気した姿を見つめる光太郎の目は、妻を愛おしむ夫の悲しみに満ちた目であり、芸術家としての非情の目ではない。が、光太郎の夫としての努力はすでに遅かった。智恵子の病状は悪化するのみで、もはや日常生活を送ることが困難となり、品川のゼームス坂病院に入院するも病状好転せず、昭和13年、智恵子は光太郎がわたしたサンキストのレモンをひと口かじって、この世を去る(52歳)。

 智恵子を失った光太郎は、芸術家としてもはや死んだも同然であった。智恵子は、光太郎にとって、おのれの芸術作品を見せるべき唯一のひとであり、おのれの芸術作品を理解し喜んでくれる唯一のひとであった。そのひとを失ったいま、光太郎の芸術的衝動は行き場を失い、その奔流は民族的情熱と自己犠牲の純粋性へと向かう。戦時下の窮乏する国民生活は、あたかも光太郎が理想とする芸術的窮乏生活が駒込のアトリエから溢れ出て日本国民全体の理想になったかのような幻想を光太郎に抱かせる。大いなる大義のために、日本民族が極限の窮乏に耐え忍びながら至難の戦いの道を歩んでいる! しかも、その戦いは、かつてその圧倒的な文化によってアジアの貧しい留学生に過ぎない光太郎のプライドを完膚なきまでに打ちのめした欧米列強を相手にした戦いであった。帝国の臣民すべてが天皇のもとに一体となり、民族の滅亡を覚悟して至高の芸術的完成をめざして戦っているのだという壮大なフィクション。その虚構の美に没入した光太郎は、大東亜戦争勝利すべく軍当局の文化政策に惜しみなく協力し、戦意高揚のための戦争詩を量産した。光太郎にとってそれは決して嘘ではなく、日本民族としての真実の美を守る戦いであった。が、光太郎の情熱は虚しく空回りしただけに終わり、愛する母国日本は欧米列強の容赦ない報復を受けて全土を焼き尽くされて敗戦する。智恵子と過ごしたアトリエも空襲で焼失してすべてを失った光太郎は、戦争に仮託していた民族的パッションの幻想から覚醒すると、再び窮乏生活の衝動に追い立てられるかのように岩手県花巻の寒村に移住し、粗末な山小屋を建てて農耕自足の独居生活に入る。

 独居七年。造形作家でありながら一体の彫刻を生み出すこともなく山村の窮乏生活に明け暮れていた光太郎の元に、十和田湖畔の記念彫刻制作の依頼が舞い込む。光太郎は、智恵子の裸像を創る決心をして山を降りた。光太郎最後の作品となる十和田湖畔「乙女の像」である。制作一年。十和田湖畔に立つそのブロンズ像は、同形二体の裸婦が左手の平を会わせて相対している。向かいあう二人の智恵子。何故、二人なのか。なぜなら、光太郎にとって、智恵子は二人いたから。一人は、絵画が大好きで、光太郎を旅行先まで追いかけてきた情熱あふれる人間の女としての智恵子であり、そしていま一人は、光太郎を絶望の闇から救い、その荒廃した魂を浄化してくれた神の造形としての智恵子である。この二人の智恵子が影と形のごとく相反しながらも一体不可分となって、智恵子という一個の肉体に宿っていたのだ。光太郎は、粘土とブロンズとによって、智恵子の肉体に宿っていた智恵子の精神の人性と神性の両面性を、二人の智恵子として再びこの世に造形した。光太郎は確信する。「わたくしの手でもう一度、あの造型を生むことは 自然の定めた約束」であると。造形作家である光太郎は、あくまで目に見え手に触れることのできる世界の存在のみを信じた。智恵子の魂と光太郎の魂とは、その互いの血のかようあたたかい肉体をとおしてはじめて触れ合い、共鳴した。智恵子の肉体が滅びた後は、光太郎は自身の肉の内に智恵子の魂の存在を感じていた。光太郎は言う。「元素智恵子は今でもなほ わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。」と。そして、おのれの死後もなお幾千年にわたって智恵子の魂の依り代とすべく、神に替わって自らの手で、再び智恵子の肉体をこの世に造形したのである。

 智恵子の像の完成から三年後の昭和31年、光太郎は世を去り(73歳)、その肉体は「天然の素中」へと帰った。そして光太郎と智恵子という男と女が歩んだ非情の愛の記録は、一冊の詩集「智恵子抄」として結晶した。それは、所詮空虚な確率的存在に過ぎない幻覚の世界をあてもなく彷徨するだけの僕らの魂が、この無明無音の絶対孤独の闇においてもなお、目に見え手に触れる肉体という魂の依り代をとおして、おのれの探し求める半身の魂に邂逅する可能性があるということの稀有な実例であり、それ故それは、僕らの魂は永劫にわたって絶対孤独であるという神の定めた根源的絶望に対して突き付けられた反証であり、すなわち、沈黙する神に替わって人類が自らの手でおのれ自身に啓示した救いの言葉にほかならない。そしてそのような根源的絶望を肉体をとおして超克しようとする人間の意志こそが「愛」であり、そこに「いのち」が創出される。そして、そのあまりにも激しい「愛」と「いのち」の創造的営みに、智恵子の精神は耐えられなかったのである。それは、魂の絶対孤独という神の定めた運命にあくまでも反逆しようとする光太郎智恵子に対する神の嫉妬と怒りであったともいえよう。光太郎と智恵子の愛は神の報復を受けたのである。そしてまた、その神の報復こそが、ふたりの愛が真実であったことの証しとなるのである。

 光太郎は、「智恵子抄」を書き遺すことで絶対孤独の絶望の闇を彷徨するだけの僕ら人類の魂に「愛」という道標を示し、智恵子のブロンズ像を造形することで幾千年にもわたる智恵子の「いのち」の再生を果たした。「愛」の絶唱と「いのち」の創出と。芸術家としての仕事をやり遂げて今生を去った光太郎の魂は永劫の転生をくりかえし、そして再び智恵子の魂と邂逅するであろう。そのあたたかい肉体のふれあいをとおして。たとえそこに神の畏るべき報復が待っていようとも。

中勘助 妄執の純愛 絶対孤独の文学

 愛しても愛しても愛するひとのすべてを愛することができないとき、叫んでも叫んでもその声は愛するひとのこころには届かないとき、探しても探してもその手は愛するひとのたましいには触れることができないとき、ついにひとは絶望し、神を憎み、運命を呪い、絶対孤独という無限奈落の闇を永遠に落下し続ける。永遠の地獄。どこにも救いはない。おのれのたましいが滅びるまで、この永劫の地獄の業火に焼かれて苦しみ続ける。それでもひとは愛を求める。愛を求めてみずから地獄に落ちる。なに故に? なぜなら、このたましいが愛を求めるが故に。絶対孤独の闇の中で、このたましいが愛を求めて彷徨するが故に。如是我聞。五蘊皆空。この世界は所詮、不確定な確率的存在にすぎない。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、この手にふれるもの、そのいっさいは所詮、たましいが認識として生み出しているだけの無秩序で猥雑な一瞬の幻覚に過ぎない。絶対孤独の闇の中で、たましいは無数の世界の幻覚を生み出しては消している。幻覚に過ぎない世界が一瞬ごとに明滅する。その無数の幻覚の中で、ひとは無数の人生を経験する。無数のひとびとと出会い、無数のひとびとと別れる。そのひとびととの無数の思い出とともに。けれどもそれもまた所詮、たましいの生み出している幻覚に過ぎない。父も母もきょうだいも友も恋人も、そういういっさいのひとびととの記憶も幻覚に過ぎない。無限の闇の中に、たましいだけがひとり、ただひとりで、みずからの作り上げた幻覚の世界を観ている。人生とは、言わば、他に誰も観客のいない真っ暗な映画館で、ただひとりで、スクリーンに映し出された自作自演の映画を見ているということに過ぎない。次から次へと人生という名の映画は映し出される。ひとつの人生など一瞬に過ぎない。次の瞬間には別の人生を観ている。一瞬前の人生のことなど、もはや覚えていない。けれども、たましいは求め続けているのだ。他のたましいを。おのれと同じたましいとの出会いを!この永遠の絶対孤独の闇の中でたましいは叫ぶ。誰かいないか、と。そうして、たましいは、他のたましいを探し求めて、自らが生み出した幻覚に過ぎない世界を彷徨する。そのけっして報われることはないであろうたましいの苦しみに満ちた彷徨のことを、愛という。神は、愛という永遠の苦役をひとに与えた。たましいは愛を求めてやまず、そして愛はたましいをついに滅ぼす。それでもなお、ひとは愛を求める。報われないことを知っていながら。なに故に?なぜなら、このたましいが、絶対孤独の幻覚に過ぎない世界の嘘には耐えられないが故に。たましいは、出会うべくしてまだ出会っていないもうひとつのたましい、すなわちゼウスに引き裂かれたおのれの半身を求めてやまぬが故に。だから愛は、幻覚であってはならぬ。愛は絶対でなければならぬ。それ故、愛はいっさいの妥協を許さない。愛は数多くの中の一番であってはならない。そのような相対的な順位に過ぎない性愛的感情を愛とは言わぬ。絶対の愛とは唯一でありかつ必然でなければならぬ。ひとの認識を超越していなければならぬ。いっさいの合理化も言い訳も許さぬ。その愛はこの世界のはじまる前から定まり、かつたとえ世界がおわろうとも不滅である。然り。愛は運命である。そしてひとは問うであろう。はたしてそのような愛が本当にあり得るのか?と。けれども愛は、問うてはならぬ。愛を問う者は、愛を捨てよ。愛を疑う者に、愛を語る資格はない。愛を疑うくらいなら、永劫の闇の中でひとり、おのれの作った幻覚に過ぎぬフィクションの愛を礼賛する夢を見続けているがいい。おのれの作り出した幻覚に過ぎぬ世界の中で、相対的な順位に過ぎぬ性愛的感情を愛と呼んで満足している者たちにとっては、そのほうがよほど幸せであろう。なぜなら、真実の愛を求めれば、そのたましいを地獄の業火に焼かれねばならないのだから。愛はかくも容赦なくひとを苦しめる。神はかくも酷烈なる試練をひとに課した。けれども愛の名のもとに神に選ばれたひとびとは、絶対の愛のためならば永遠の地獄をも恐れぬ。そして、かれらは言う。絶対の愛をこの手にできないのであれば、たとえ愛情に満ちた安逸の人生の夢を約束されたとしても、そのような虚構に過ぎぬ人生にいったい何の意味があろうか。と。かくして、およそこの世でもっとも不幸な者とは、愛の名のもとに神に選ばれてしまった者たちのことである。

 そしてここに、不運にして神に選ばれたが故に愛を求めて永劫の闇を彷徨したひとりの作家がいる。中勘助。絶対の愛を求めて、文字どおりの地獄のごとき人生を生きた男である。それほど有名な作家ではない。が、夏目漱石の弟子。「銀の匙」の作者。と言えば、ああ、あの「銀の匙」の作者のことか、とその名を思い出す文学ファンも多いだろう。けれどもこの作家のすごみは、漱石に未曽有の小説と激賞された代表作「銀の匙」を読んだだけではなかなかわからない。男女の性愛の苦悩と妄執を描いた「提婆達多」「犬」「菩提樹の蔭」の三部作、あるいは義姉末子、少女妙子への恋情を文学的に昇華させた一連の日記体小説群を読むとき、この作家の苦悩の深さと妄執の壮絶さに、僕は戦慄する。その苦しみは「人間失格」を書いた太宰の苦悩に匹敵する。いやむしろ太宰の苦悩の深淵よりもなお黒々と澱んでいる。太宰もまた絶対の愛を求めて彷徨した。が、太宰はその苦しみを受け止めることができず、それを「古代の荒々しい恐怖感」とだけ表現して、ついに神との戦いを避けた。いや、神と戦うことなく敗北を認めたと言っていい。が、勘助は、その苦しみから目をそらすことなく、おのれのたましいを捧げて真正面から受け止めようとした。勘助は仏陀とさえ戦わねばならなかった。静かに微笑んで五蘊皆空を説く仏陀の前に、勘助は煩悩三毒にただれる自身の剥き出しのたましいを突きつけた。おのれの絶対の愛を守るために。その人生はまさに地獄であったろう。この男が自殺することなく生きたこと自体がほとんど奇跡である(昭和40年没、80歳)。いや、勘助は生きたのではなかった。死ねなかったのである。旧藩主家令をつとめた厳格な士族の家に生まれた勘助は、東京帝国大学英文科に進んで漱石の教えを受ける。勘助には年の離れた兄がいた。長兄の金一である。東京帝国大学医科を卒業後、ドイツ留学を経て京都帝国大学福岡医科(後の九州帝国大学医科)教授となっていた。この長兄金一との確執が勘助を生涯苦しめるのである。金一は勘助の幼少期から、性質惰弱な勘助を教育と称して虐待した。勘助にとって金一は生涯の仇敵であった。「銀の匙」で勘助は、長兄について「あわれな人よ。なにかの縁あって地獄の道づれとなったこの人をにいさんと呼ぶ、、、」とまで描写している。その描写は当然、長兄も目にするのである。それでも書いたのだ。その確執の深さが良くわかる。そもそも銀の匙」は、どういうわけか世評として、「子どもの純粋な気持ちを描写した美しいメルヘン」といった評価が一般化している。通説と言って良い。僕はこのような世評の流布が不思議でならない。はたしてこのような評価を口にしているひとたちは、ほんとうに「銀の匙」を読んだことがあるのだろうかと疑わざるを得ない。「銀の匙」は、純粋な童心を描写したメルヘンなどではない。断じて違う。「銀の匙」は、東京帝大を卒業して文筆家として生きる道を模索していた若き勘助が、おのれの呪われた人生の原風景をたどった心象スケッチである。それは、自分が決して報われることのない愛の彷徨に陥ることへの確信的な不安、蒙昧愚劣な大衆への抜きがたい嫌悪、そして長兄金一に代表される不条理な運命へのレジスタンスと諦念、そういう勘助の悲痛な怨嗟と恐怖の泣き声に満ちている。「銀の匙」を書くことで自らの呪われた人生を見極めた勘助は、漱石の強烈な支持を受けて、作家としてデビューする。が、その後の勘助の作家活動は決して華々しいものではない。その活動はむしろ細々として常に危うさに曝されている。その大きな要因が、仇敵である長兄金一が脳溢血により再起不能になったことであった。後遺症により言語機能を失い身体機能にも障害を負った金一はいっさいの社会的地位と収入を失い、家長としての地位から一転して家族の介護を受ける一被扶養者となった。中家の経営はすべて勘助ひとりの肩に重くのしかかった。老いた母と、生活不能者となった長兄と、そして長兄の妻である義姉末子の三人が生きていくための道筋をつけなければならない。勘助は文学に専念するどころか、家計のやりくりと長兄の介護に心労を重ねた。自らの苦悩に殉じて自殺するどころではないのである。死ねないのだ。おのれが死ねば、この生産力のない三人もまた死なねばならぬ。勘助は生きた。けれどもそれは、幼い自分に母としての愛情を注いではくれなかった実母のためではなく、無論幼少より自分を虐待し続けた長兄金一のためでもなく、義姉末子のためであった。

 末子。勘助の人生はすべて、勘助より二歳年上のこの女性ひとりのためにあったと言っていい。野村子爵家の令嬢であった末子は、十九歳で長兄金一と結婚した。が、実は、末子は、華族女学校に通っている当時から、中学生の勘助にとって憧れのひとであった。その憧れの人が、選りにもよって仇敵である長兄の妻として中家の家族となった。勘助は言う。「私はそこにいまだかつて夢想したこともない善良無垢な人を見出した」と。末子は、勘助にとっての理想の人であった。女神であった。勘助は末子を惜しみなく礼賛する。「よしんば私が道徳的に癩のごとく爛れながら救いを求めて歩みよっても慈悲の双手をさしのべて迎えてくれるのは姉だけであろう」「真に貴い。真に美しい」と。けれどもその理想の人は、おのれが最も憎む長兄の隷属物としての妻であった。無論、妻はその夫に、性愛の対象として毎夜凌辱される。そして妻は、その凌辱にさえも思わず歓喜の声をもらすであろう。おのれの憧憬する女神が、おのれの最も憎むべき男に毎夜凌辱されて歓んでいる!およそ男としてこれ以上の苦しみはこの世にあるまい。絶対の愛を求める勘助の彷徨はこの時から始まったのである。勘助は性愛を全否定し、動物的な本能を全否定し、愛を精神的なものとして徹底的に純化しようとする。おのれの女神への絶対的な愛を守るために。勘助は、仏陀と対立して独自の教団をつくろうとした提婆達多の口を借りて、世界に向かって叫ぶのだ。「汝ら愚痴の者よ。罪業の淤泥にまみれ、淫楽の悪臭をはなちつつ蛆のごとくに人界を匍匐いまわる。汝らは猿のごとくに交尾み、猿のごとくに生み、猿のごとくに群居する。しかして色慾の肉縄につながれたる互いを夫とよび、妻とよび、親とよび、子とよぶ。汝らはまさに畜生道に堕ちるであろう」と。この提婆達多の叫びは、勘助自身の叫びである。毎夜くりかえされる「半痴半狂の凶暴な夫」との性愛の玩具として弄ばれ凌辱される末子のこころに届けとばかりに勘助は声を限りに叫ぶのだ。そのようなけものの淫楽とは無関係の純粋な愛こそが真の愛である、と。それは、末子という女神に勘助が捧げた祈りの言葉であった。この世においては、決しておのれの手の届かぬひと。愛しても愛しても、そのすべてを愛することができないひと。そのひとのために、そのひとに読んでもらいたいという、ただそれだけのために、勘助は「提婆達多」を書いたのである。そしてその思いは末子にも通じていた。末子は、「提婆達多」をくりかえし読んでは泣いた。勘助は言う。末子にとっても勘助は「暗黒の中のただひとつの光」であった、と。

 そして絶対の愛を求める勘助の戦いはさらに激しく悲壮になる。憎むべき兄の妻という現実世界の鎖につながれた末子は、勘助ひとりがその愛をいかに純化しようとも、所詮はその肉体を兄の性愛の玩具として凌辱にまかせるほかはない。凌辱されて歓喜の声をもらしている末子の姿を目の前にしながらなお、末子を愛していると言えるのか。動物として「猿のごとくに交尾んでいる」末子の姿を許すことができるのか。いや、許さなければならない。許すにはどうすれば良いのか。方法はひとつしかなかった。おのれもまた、「猿のごとくに交尾んでいる」けものになるしかないのである。勘助はそれを作品「犬」の中で実践した。美しく若い娘に恋い焦がれる醜い中年の修行僧は勘助自身にほかならない。修行僧は、秘法をもっておのれと娘とを犬に変身させて、狂ったように娘犬と交尾する。それは、作品中で犬となり、憧憬する末子との愛なき性交を堪能する勘助の姿である。勘助は、おのれの作品の中で末子をけものとして凌辱することで、兄との性愛に毎夜肉体をまかせる現実の末子を許すことができると考えた。末子を許すにはその方法しかなかった。すなわち勘助は、おのれもまた醜悪なる淫獣の汚らわしい性愛に耽溺することで、末子が毎夜夫の前に曝しているであろう淫猥な痴態を責める資格を自ら剥奪したのである。それ故、勘助は汚らわしい淫獣となった娘犬と僧犬との性愛の営みを細密に執拗なまでに描写し、そこから逃げることなく、その動物的な肉体的情欲の歓喜と救いのない醜悪さとを徹底的に凝視する。そして勘助は、ひとつの結論にたどりつく。たとえ肉体は汚らわしい淫獣に堕ちようとも、ひとのたましいは純粋な愛を探し求めてやまないであろう。けれども、ひとの探し求める純粋な愛が神の祝福を受けることは決してないのだ、と。なぜなら、純粋な愛など、所詮、ひとが勝手に創っただけのフィクションに過ぎないのだから。娘犬が恋い慕う初恋の異教徒兵は、娘のことなど戦場での慰み物程度にしか記憶していない。異教徒兵との愛は、娘犬が見ている幻覚に過ぎないのだ。幻覚に過ぎぬ虚構の愛を絶対化するなど、神を裏切る偶像崇拝にほかならない。神の祝福があるはずがないのである。「犬」の結末で、娘犬は僧犬をかみ殺し、初恋のひとと再会することを神に祈って犬から人間の姿に戻ることができる。が、「その時、大地がかっと裂けて彼女は倒に奈落の底へ堕ちて」いくのだ。そこに神の救いはない。絶対の愛を求める彷徨の果てにあるのは無限奈落の闇である。それでもなお、ひとは絶対の愛を求めてやまない。娘を無限奈落に堕とすことで、勘助は、末子をおのれの無限奈落の地獄の道連れにしたのである。

 末子との絶望的な愛の彷徨に苦しむ一方で、勘助は、ひとりの美少女との密かな恋をはぐくんでいる。美少女とは、友人江木定男の娘妙子である。妙子は勘助を実の父のごとく慕い、勘助もまた妙子をこよなく可愛がった。が、勘助の日記体小説に登場するふたりの間には、父娘としての愛情だけでなく、男女の愛情の匂いが濃厚に漂っている。もっとも、それは、性愛の生臭さではない。末子との絶対の愛を求める勘助は、妙子にもまた絶対の愛を求めたのである。そして幼い妙子は、末子とはちがって、まだ誰の隷属物でもない処女である。勘助にとって、妙子は、華族女学校に通っていたころの汚れのない末子の代わりであったのだろう。けれどもその妙子もまた、お茶の水女学校卒業後、東京商科大助教授と見合い結婚した。勘助にとって、妙子の結婚は、末子の結婚同様に、所詮「猿のごとくに交尾んでいる」だけの意味しかなかったであろう。絶対の愛など、どこにもないのだ。勘助は妙子のために「菩提樹の蔭」を書く。早世した恋人チューラナンダの石像を磨いた石工のプールナは、自らのいのちと引き替えに、チューラナンダの石像にいのちをふきこむように神に祈る。ギリシャ神話のピグマリオンと同じテーマである。ピグマリオンの願いは、女神アフロディーテに祝福されて、石像から人間となったガラテアを妻に迎える。が、勘助は、プールナの願いを成就させない。神の怒りにふれたプールナは死に、チューラナンダは石に帰る。そしてふたりの間に生まれていた子どもも死ぬのである。どこにも救いはない。いや、救いがあってはならないのである。なぜなら、末子を求める自分がそうであるように、いのちをかけても惜しくないという愛を求める人間の願いが神の祝福を受けることなどはないのだから。絶対の愛を求める者は、永劫、無限奈落を堕ち続けなければならないのだから。そしてそれでも、たましいは、絶対の愛を求めて永遠の闇を彷徨するのだから。真の愛を求める者には、苦しみだけがある。妙子は、病を得て三十五歳で早世する。勘助は自分より早く世を去ってしまった「娘」の妙子に言う。「妙子や 三十五年は長かったね」と。確かに、絶対の愛を探し続ける人生の苦しみは、三十五年でも長すぎたであろう。

 妙子と同じ年、末子も死んだ。五十九歳であった。勘助は、一度にふたりの女神を失ったのである。あとには、仇敵である老いた長兄だけが残った。妙子も末子も失った勘助は、五十七歳にしてようやく、結婚しようと思った。長兄の介護のためである。相手は、お茶の水女学校を卒業後、東京帝大で美術史を学んだという書道家で、十五歳下の嶋田和である。そして、この和との結婚式当日に、長兄金一が「急死」している。勘助は運命の定めた人生の桎梏からようやく解放された。が、すでに、愛する末子はこの世にいない。晩年、勘助が、友人に言った言葉がある。「(和は)姉に似たところのある人でしょう」と。勘助の目には、末子しか映っていなかったのである。

 病弱に生まれて、銀の匙で苦いくすりを飲まされて始まった勘助の人生は、末子との絶対の愛を探し求める苦しみにのみ捧げられた。勘助の作品はすべて、その苦しみを乗り越えるための文学的昇華であり、おのれのためだけに書かれた救いのための祈りと言っていい。神が沈黙して救いを与えてくれぬ以上、愛を求めてやまぬ人間のたましいは、自らの祈りで自らを救うのである。たとえ、そこに救いなどないとしても!たとえそれが、神に逆らうことになろうとも!勘助のたましいはなお末子を探し求め、無限奈落の地獄の業火に焼かれているであろう。永劫。救いはない。それでもなお、勘助のたましいは、末子のたましいを探して闇を彷徨し続けるのだ。

カフカ「変身」 絶望の二十世紀と不条理文学

 しばしば耳にすることがある。地位も名誉もある立派な男が、そうだ、この男は実に社会の模範たるべき人物で、もう、そうとしか言いようのない完璧な人物で、十歳にして近隣で神童ありと騒がれ、十有五にして町始まって以来の英才との名声既に高く、その期待どおり超一流大学に易々と合格して断トツの首席で卒業、旧財閥系の名門企業に就職してとんとん拍子に出世して今や毎日電話一本で数百億円を右から左に動かすような巨大プロジェクトのリーダーとしてバリバリ働き、四十歳を待たずして早くも次期取締役候補との呼び声も高く、もちろん給料は一般人どもの平均年収の軽く五倍、コンシェルジュ付きの高級タワーマンションに居を構え、しかもその人柄たるや謙虚かつ誠実にして廉潔、さらに柔道三段、剣道五段の腕前で文武両道を極め、毎朝一日十キロのジョギングを欠かさず、趣味は現代美術から古典落語まで広範にわたり、そのユーモアたっぷりの豊富な話題で自然と人々の輪の中心となり、おまけに眉目秀麗で長身、均整の取れたスタイルはまるで映画俳優のようで、そしてそういう彼がこよなく愛する家庭はと言えば、名門女子大出身で、学生時代にはミスなんとか日本代表コンテストで準ミスに選ばれ大学卒業後は英国の名門大学に留学、帰国後は母校の女子大の英文科講師をつとめる傍ら現代英文学の翻訳家、評論家としても活動して出版業界での評価も高い才色兼備の賢妻と、お利口で礼儀正しい二人の子供たち、上の小六の男の子は超難関私立中学の受験前で毎日五時間も有名進学塾で勉強して帰宅後も夜中の二時まで自学研鑽、全国模試でも常にトップクラスの成績をおさめ、もはや合格まちがいなし、彼が不合格なら我々はみんな講師を辞めますよ、と塾の講師たちもそろって太鼓判を押し、それでいながら少年サッカーチームにも所属してレギュラーとして県大会に出場し、チームは惜しくも準決勝で敗退したけれども個人として優秀選手賞を受賞、日焼けした顔に白い歯がよく似合う明朗闊達な目元涼しい美少年で、バレンタインデーには肩から下げた大きなスポーツバッグが一杯になるほどのチョコレートを学校中の女の子から渡されるのが唯一の悩みの種、また、下の小三の女の子はクラシックバレエとピアノのレッスンに通っていて、それぞれのスクールの先生、いずれも世界的コンクールで入賞経験のある高名な先生なのだが、そういう先生たちでさえ、ほんとに末恐ろしいわ、と戦慄するほどの溢れる才能の片鱗をすでに見せて、周りの大人どもが、将来はバレリーナだ、音楽家だ、いや宝塚だ、いやいや映画女優だよなどと騒いでいると、本人は泣きべそをかいて「ケーキ屋さんになりたいもん」などと愛らしいことを言っていよいよ周りの大人どもを悶絶悶死させるという、そういう、我々庶民どもとはおよそ生きる世界が違う彼、その彼が、ある日、ある朝、満員の通勤電車の中で、女子高生に痴漢行為を働いて逮捕され、仕事も家庭も一切合財、もう、ありとあらゆる人生のすべてを一瞬のうちに失うという、そういうまことに奇怪な事件を、朝のテレビニュースで耳にして思わず朝飯の箸が止まった、などという経験は誰しも一度や二度ではないはずだ。

 これは、いったい、どういうことだろう。奇怪、としか言いようがない。曰く、不可解。理不尽にも程があるよ。魔がさした、という言葉があるが、まさしくこれは、悪魔の仕業だ。まともな人間のやることではない。まして、人間として最上級の知性と品性を兼ね備えた彼のような人物がやることではない。まったく理屈にあわない。が、事実なのだ。現に、いま、僕の目の前で起こっている事実なのである。この事実を、僕は、事実として受け入れなければならない。完全無欠の彼の耳に、悪魔がささやいたのだ。「さあ、すべてを失え」、と。そして彼は、その悪魔の声に無意識のうちに従ったのだ。そして文字どおり、すべてを失った。駅員たちに取り押さえられ、ホームのコンクリートに顔を押し付けられてはじめて、彼は、悪魔のささやきから目覚めて、はっと気が付くのだ。何だ、なにが起こったんだ? おれは、いったい、何をしたんだ? 痴漢? おれが痴漢だって!?

 おお、何という恐ろしさであろう。こんな奇怪なニュースに接する度に、僕は、戦慄するのである。悪魔がいる、と。いや、しかし、それは悪魔なのであろうか。悪魔も、もともとは偉い天使であったという。ひょっとして、彼の耳にささやいたのは、天使だったのではないか。天使が、神の声を、人生を根こそぎ破滅させる、その恐ろしい聖なる命令を、そっと彼の耳にささやいたのではないのか。そして、もうそれだけで、どんなに完璧な人間でさえも我を忘れて無意識のうちに愚かしい行為に走って、これまで築き上げてきた全てのものを失うのだ。そして、そういう憐れな人間の姿を見て、天使は、冷たい微笑を浮かべながら、こう語りかけるのだ。見よ、おまえたち人間など、所詮、その程度の存在なのだ。合理的精神だの科学的思考だのと言って恰好つけていても、突如として、何の脈絡もなく、まったく無意味に、訳のわからない、何の得もしない衝動的行動に走る、それが、おまえたち人間の真の姿なのだ。おまえたち人間が自慢する知性とやらは、おまえたち自身の不条理な衝動を抑制することさえできないではないか。そんな非論理的な衝動に支配される不完全な存在に過ぎぬおまえたちが、全知全能の神の座を奪おうなんて、何とまあ、恥知らずなことだとは思わないのか。聞くところによると、人間は、神を殺したんだって? 笑わせるんじゃないよ。おまえたち人間なんぞに、神様が殺されたりするものか。バベルの塔の無残な敗北をもう忘れたのか。たった今、おまえたちは見たであろう、この完璧としか言いようのない男の不条理な行動を。この不条理こそは、神様が人類にくだした警告だ。おまえたち人類は、合理的でも科学的でも論理的でもない。非合理的で、非科学的で、非論理的な衝動に支配される不条理な生き物に過ぎない。さあ、もう、自らが建設したバベルの塔を崇拝するのはやめるがよい。自分で自分を崇拝して何の意味があろう。それを偶像崇拝と言うのだ。バベルの塔は倒れた。天に弓ひくような愚かな真似はもうやめて、神様の御もとに戻ってきなさい。神様は、すべてをゆるしてくれる、と。

 そういう天使の戦慄すべき声を不幸にも聞かされた人間の一人が、憐れな愛すべき男、わが友、グレゴール・ザムザ君であった。と言っても、ザムザ君は、満員電車で痴漢をしたのではない。さえない市井の一労働者に過ぎないザムザ君が痴漢をしても、べつに不条理ではないからだ。誰も驚かない。あら、やっぱりね、そういうひとだと思ってたわ、の一言で片づけられてしまう。だから、ザムザ君は痴漢などはしない。ザムザ君を襲った不条理は、そんな生半可なことじゃない。そうではなくて、ザムザ君は、或る朝、目が覚めると、虫になっていた。理由はない。ひとは常に理由を求める。いかなる現象にも合理的理由があると考える。それは、理由がある方が安心できるからだ。けれども、ザムザ君の変身に、そんな理由はない。天使がささやいた神の警告なのだ。もはや人知を超えているのだ。だから、人間が納得するような合理的理由などあってはならない。繰り返す。理由など、ひとカケラも、ただの一言も、あってはならない。いきなり、虫になっていなければならないのだ。では、なぜ虫なのか。犬や猿ではいけなかったのか。いけないのである。虫でなければならない。人類の知性から最も遠い生き物でなければならない。べつに植物でも良かったのだが、植物はちょっと知的な思索家の雰囲気を持つことがあるから厄介だ。サボテンなんか、けっこう何か考えていそうだ。深山の千年杉は、神々しい威厳さえ漂わせている。植物は、これは、なかなか要注意だ。だから、やはり、ここは、虫。何としても虫でなければならない。それもゴキブリのような、コゲ茶色の外骨格で覆われた、いかにも醜悪な虫。人類とは何の血縁関係もない生き物の象徴としての虫。平凡なるセールスマンに過ぎないザムザ君は或る朝突然、何の理由もなしに、そのような醜悪な怪虫に変身したのである。この不条理!確かにそれは、完璧なるエリートが或る朝突然、理由もなく痴漢をする不条理よりもはるかに恐ろしい不条理だ。神が人類にくだした戦慄すべき警告。かくして、不条理文学の不朽の名作「変身」は生まれた。

 19世紀、人類がキリスト教を知る以前の古代ギリシャ・ローマ文化の燦然たる光が復活し、非キリスト教的人間中心主義が全盛となった。「19世紀ルネサンス」である。人間は神をめざして天高く登り、天界の門をこじ開け、神殿に上がり込んだ。ゴッホの描くひまわりは太陽が生み落とした地上の日輪のように輝き、ニーチェは神が殺されたことを宣言した。しかし、19世紀ルネサンスにおける天才たちの奮闘もむなしく、人類は神にはなれなかった。人類は何も、変わらなかった。天界の神の座に向かって燃え上っていたはずのゴッホの糸杉は、不気味に渦巻く混沌とした闇空に阻まれて行き場を失い、ニーチェは孤独のうちに狂死した。敗北した人類は、暗澹たる世紀末を経て、絶望の二十世紀を迎える。「人類の黄昏」である。バベルの塔は再び倒れたのだ。古代ギリシャ・ローマ文化の燦然たる光は消え去り、世界は闇につつまれる。そして、人類に殺されたはずの神が復活する。いや、復活、と言うべきではない。そもそも死んではいなかったのだから。死んだふりをしていたに過ぎない。人類が神殺しに熱狂した百年間にわたって沈黙してきた神の「復讐」が始まった。神は、絶望に震える人類に警告した。おまえたちは、所詮、不完全な生き物に過ぎぬ、と。おまえたちが悔い改めない限り、世界は恐怖と殺戮に満ちた地獄と化すであろう、と。そしてその後、二十世紀の人類は、その警告どおりの地獄を経験することになるのだ。世紀末から二十世紀初頭にかけて、そういう神の警告を、はっきりとその耳に聞いた一群の天才たちがいた。そして彼らは思い至るのである。人間は、そもそも、19世紀ルネサンスの天才たちが夢見たような完全なる存在などではなく、不気味で得体の知れぬ衝動に突き動かされる不条理な存在に過ぎないのではないのか、と。いや、そもそも、この世界それ自体が、何の秩序も法則も存在しない混沌と偶然の幻影に過ぎないのではないのか、と。19世紀が燦々と輝く太陽の世紀とすれば、20世紀は不気味な得体のしれぬ闇夜の世紀となった。人類は太陽を失った。ピカソは「ゲルニカ」で、太陽を失った二十世紀の人類が電燈の人工太陽の下で殺戮に狂奔する醜悪な姿を容赦なく写し取った。カミュ「異邦人」の主人公ムルソーは、ママンが死んだ時と同じ灼熱の太陽の下で五発の銃弾をぶっ放して太陽の下の幸福を自ら永遠に失い、夜の独房で処刑を待つ身となった。そして、憐れなザムザ君は、虫になった。

 虫になったザムザ君は、まことに気の毒な境遇となる。愛する家族には忌み嫌われ、父親に投げつけられたリンゴが背中にめりこんで致命傷となり、夜明け前に独り静かに息を引き取るのだ。そして家族は、平和で幸福な生活を取り戻すのである。人間の本質が非論理的な衝動に支配される不完全な存在に過ぎないということを認めることは、人間にとって苦痛である。とりわけ自分が合理的で論理的な人間であると信じている人にとっては、受け入れがたいことであろう。それは、人間の自由意志の否定に他ならないからだ。自分が知りもしない見たこともない何ものかによって操られている、ということを自らすすんで認める者はいないであろう。みんな、自分は自分の自由意思で行動していると信じている。だから、たとえ非論理的な衝動に突き動かされて意味不明な馬鹿馬鹿しい行動をとったとしても、たいていの人は、自分のその行動に何らかの意義付けをしようとする。損得勘定で合理的に説明しようとする。そして、これは私が自ら決めたことです、そうですとも!これは、私が正しいと信じてやったことなのです、私の意思でやったのです!と主張する。けれども不幸なるザムザ君の場合、そんな合理的な説明の余地がなかった。まさか自分の自由意思で醜怪な虫に変身する人間など、いるわけがないのである。合理化不可能だ。ザムザ君は、疑いようもなく、不条理な何ものかに操られて虫になってしまった。ザムザ君の責任ではない。だからザムザ君自身は、これっぽっちも罪の意識などない。罪? そもそも、罪でさえない。虫になっただけなのだから。が、ザムザ君自身はそれで良いとしても、彼の周りの人間にとっては、そのような不条理は許しがたいことなのである。ザムザ君が虫になった合理的理由がなければならないのだ。そうでなければ、自分たちの世界の秩序が崩れてしまう。愛すべき善良なる市民たちにとって、世界の平和と家族の幸福は、合理的秩序を守ることによって実現されるのである。どんなにささいな不条理も見過ごしてはならぬ。「蟻の一穴」というではないか。この世界全体の合理的秩序が、ほんの小さな不条理を見過ごしたせいでぼろぼろと崩壊し、ついには無秩序の混沌のうちに溶解してしまうかも知れないではないか。とんでもないことだ! グレゴールめ! なぜ、虫に変身したのだ!? 理由を言え! と、いうわけで、父親は、ザムザ君に林檎を投げつけるのである。林檎、すなわち、知恵の実。人間が神と対峙する原因となった知性の象徴。その林檎を、虫になったザムザ君に投げつけるのだ。林檎は、ザムザ君の背中にめり込んだ。が、ザムザ君の変身の理由は、知恵の実をもってしても何ら解明できなかった。林檎は腐り、ザムザ君の体を腐らせ、ついにはザムザ君を死に至らしめる。知恵の実と、ザムザ君の不条理とは両立できなかったのである。傲慢なる人間に対する神の警告として虫に変身したザムザ君は、人間の知性の象徴である知恵の実によって殺された。そして、ザムザ君の家族は、元どおり、いや、以前にもまして、あたたかい幸福の予感につつまれて、カフカ一世一代の名著「変身」は幕を閉じるのである。とすれば、「変身」は、結局のところ、人間が神に勝利したことを描いた小説なのであろうか? 人間の知性は、ついに不条理をも超越できるというのか?! そんなわけがない。ぜんぜん、そうではない。むしろその逆である。知恵の実は「腐った」のである。そしてザムザ君も、傷口の炎症が広がって死ぬ。知性が腐り、不条理も死んで、その後の世界に残されたものが、ほのぼのとした「家庭の幸福」なのである。知性も不条理も、そのどちらも、罪なき生活者の幸福にとって邪魔なものでしかないのだ。人間が神を超越するだの、あるいはその反対に、神が人間への警告として不条理をささやくだの、そんなことは、いずれも、日々を一生懸命に生きる真面目な生活者たちにとっては、元々どうでもいいことなのだ。まさしく、どうでもいいのである。彼らにとって重要なことは、「秩序」である。秩序は、知性ではない。なぜなら秩序は考えることを必要としないからだ。いや、秩序は、考えることを禁止するのだ。秩序とは習慣であり、ルールであり、制服である。だから、父親は、わざわざ制服に身を固めて、かつて息子だったはずの怪虫に林檎を投げつけたのである。彼は、一家の父親として、この世界の秩序を守らねばならないのだ。秩序に従っていれば、幸福が保証される。その秩序を破るものは、それがたとえ息子でも容赦なく殺す。それが罪なき生活者たちの人生の掟なのだ。そして、ザムザ君の死骸を前にしてはじめて、幸福なる一家は、神に感謝の十字を切るのである。ザムザ君の死のおかげで、彼らは神の元に戻ってきたのだ。神の思惑どおりである。自らの不完全性に絶望して闇夜をあてもなく彷徨していた二十世紀の人類は、不条理という「神の罠」(=「奇蹟」)によって、百年ぶりに神の元に戻ってくるのである。

 神に敗北し、世紀末に絶望した人類が太陽を失って闇夜をさまよい、電燈の薄暗い明かりの下で殺し合い、逃げまどい、日の昇らない真っ暗な地平線の果てにようやく光を見つけたと思って近づいてみたら、それはかつて人類の手で破壊し瓦礫と化した神殿に捧げられたろうそくの残り火であったという、そのひどい「徒労感」こそが、二十世紀の文学のテーマであろう。神の「復権」と言ってもよい。それでは再び、世界は神の支配へと戻るのか。人類は、無知文盲の暗黒の中世に戻って、ゲルマンの森の奥で魔女狩りのいけにえを火あぶりにするのか。そうかも知れぬ。所詮、人類は、その程度の愚かしい生き物ではないか。神はすべてをお見通しさ! と天使はささやくだろう。が、そうであろうか。この不条理を超克して、人類が再び、神と対等に対峙する日は来ないのか。ザムザ君は、死の間際、安らかで虚しい物思いの中で教会の鐘の音を聞く。白々とした夜明けを知らせる鐘の音だ。それは決して、暗黒の中世に人々を支配した鐘の音ではなかった。そしてザムザ君は、再び昇る太陽の光を感じながら死ぬ。ザムザ君の死は、絶望の中の死ではない。希望につながる死である。「異邦人」のムルソーもまた、処刑を待つ独房の中で夜のしじまに響くサイレンの音を聞きながら、生き返ったような幸福感にひたる。ザムザ君も、ムルソーも、少しも絶望していない。彼らは、不条理のために陥った死を前にしてはじめて、いっさいの桎梏から解放され、自由となった。それは、この世界の掟から、そして神の掟からも解放された完全な自由である。この不条理の犠牲者たちが感じた自由の喜びを、果たして神は予想していたであろうか。不条理は、人間だけでなく、神にとっても制御不能なのだ。人類はかつて、神に敗北した。バベルの塔は倒れた。人類は神を殺すことはできなかった。が、人類は、神の予想を裏切ることはできる。人類は、神の操り人形ではない、という自覚にこそ、人類の夜明けの可能性がある。そのことを、絶望の二十世紀において、不条理文学は指し示したのである。

 

 

 

 

三島由紀夫「金閣寺」 「究竟頂」の扉をめざす文学的系譜

三島由紀夫金閣寺のラストを書くために生まれた。」と、言っては、言い過ぎだろうか。あたりまえだ。言い過ぎだ。と、えらい人たちに叱られる。では、こう言っては、どうだろう。「金閣寺」のあとの三島の作品なんて、あれは、ぜんぶ、おまけみたいなものです、と。それこそ、袋だたきである。きさまは、あの大作「豊饒の海」をおまけだというのか!と、烈火のごとき怒声が飛ぶ。すると、僕はひるまずに答える。いや、相当ひるんでいるが、震える足をかくしつつ、答える。はい。おまけです。壮大なおまけです。三島は、疑いなく、「金閣寺」のラストの数枚を書くために生まれたのであり、その作家としての天才は、その数枚にすべて注ぎ込まれて尽きたのです、と。

 ああ、この作家は天才だ、と心の底から思える小説との出会いというのは、人生において、そんなにあるものじゃない。「金閣寺」のラストは、まさにそういう出会いの一つであった。言うまでもなく、そのラストとは、金閣に放火した主人公の「私」が、煙にまかれながら、「究竟頂」の扉を開けようとして開かない場面である。「扉は開かない。」三島は、この数文字の短い一文を、三度、繰り返す。この数文字を三度、読んだ時、僕は三島の天才を確信して震えた。金閣の最上階、金箔がはりつめられた金色の小部屋「究竟頂」の扉は、開かないのだ。どうしたって、開かないのだ。人間の限界。神の世界に、人間は、決して入れない。そのどうしようもない人類の絶望を、わずか数文字で余すところなく描き切った三島が天才でなければ、この世に天才などいないであろう。

 三島の「金閣寺」と同じく、どうしても開かぬ扉、というモチーフのラストシーンで戦慄させられた天才が、もう一人いる。安部公房だ。安部の「けものたちは故郷をめざす」のラストでは、敗戦後の満州から故郷日本をめざして苦心惨憺たる逃避行をしてきた主人公が、密航船でようやく日本の港にたどりつくものの、船倉に監禁されていて上陸することができず、船倉の鉄板をたたいて声の限りに叫ぶという場面がある。が、やはり扉は開かないのだ。テーマは「金閣寺」と同じである。神に敗北した二十世紀の人類の救いようのない絶望を、この二人の天才は、わずか数行の言葉で描き切ったのである。僕は、ああ、この作家は天才だ、と心の底から思った。それは文学ファンにとってまことに幸せな瞬間である。

 三島も安部も、ノーベル文学賞はもらえなかった。候補ではあったらしいけれど、もらえなかった。べつにノーベル賞がえらいわけじゃないけれども、やっぱり、三島や安部がもらっていれば、文学ファンとして、うれしいのである。そりゃそうだとも!と、鼻が高いのである。で、三島や安部はもらえずに、川端と大江がもらった。不幸にして、このふたりの小説を読んで天才を感じたことはただの一度もない。川端の「掌の小説」には感心した。うまい、と唸った。が、それだけのことである。大江にいたっては、「遅れてきた青年」という、その題名の上手さにはおおいに感心した。ただそれだけである。中身を読んで、おおいにがっかりした。いや、川端や大江のことなど、どうでもいい。

 燃え上がる金閣を逃れ出てきた「私」は、「獣のように」傷口をなめると、煙草を吸って、「生きよう」と思う。その姿にはもはや、神と対等になろうとした人類の不遜な意志と自信はどこにもない。罪なき動物の姿である。神の造った世界の理に従順なる生活者。熱狂と絶望の果ての日常的静穏。安部公房もまた、「どうしても開かぬ扉」のモチーフを、後作の「砂の女」では「逃れられない砂の穴」というモチーフに変換して、もはや砂の穴から逃げようともせずに砂の女とともに生活していくことを選ぶ主人公を描き、神に敗北した二十世紀の人類の「絶望の中の生」を取り出して見せた。この三島と安部の描いた人類の絶望の姿は、太宰治の「人間失格」のラストで、「ただ、一さいは過ぎて行きます。」と独白する主人公・大庭葉蔵の絶望の姿に他ならない。

 芥川龍之介以来、日本文学には、キリスト教の教義・伝統に縛られることなく神と人類の葛藤を追究してきた日本独自の世紀末文学の系譜がある。極東の小島に過ぎぬ日本の文学が、シェークスピアにもドストエフスキーにも負けない人類普遍の輝きを放っているのは、ひとえにこの系譜の作品群の存在があればこそである。この文学的系譜は、芥川、太宰、三島、安部と受け継がれ、そして三島由紀夫の「金閣寺」と安部公房の「砂の女」を最後に、ついに絶えた。千数百年の日本文学史における、わずか五十年間の系譜であった。が、その五十年間に、日本文学は燦然と輝いた。そして、燃え尽きた。一瞬の花火のようであった。二十世紀という人類にとって厳冬の世紀の闇空を走る閃光であった。そして、芥川龍之介はぼんやりした不安で毒をあおり、太宰治は女と身を投げ、三島由紀夫は腹を切り、安部公房は世捨て人になって世を去った。ドストエフスキーが「罪と罰」のラストで後世の作家に託した、人類の新しい希望を見せてくれる続編を、結局、誰も書き残すことはできなかった。

 本は、本屋に山ほどある。毎日何千という本が生まれている。ネットにはテキストがあふれている。この瞬間にも、幾千幾億の言葉が生み出されている。その中に、人類の絶望を救う天才の言葉があるのだろうか。いや、きっとあるのだろう。あるに決まっている。人類はまだ、戦える。神はなお、人類を試している。けれどまだ、不幸にして、その言葉たちに出会っていない。

太宰治「人間失格」とドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の関連性

 おやおや。ずいぶん大げさな記事だこと。太宰とドストエフスキーだってさ。しかも「人間失格」と「カラマーゾフの兄弟」とはね!どうせ生かじりの浅薄な文学史の知識でもって、チンプンカンプンなトンデモ論をぶつぶつ唱えようってんだろ。やめろ、やめろ!馬鹿につける薬はないぜ・・・みたいな拒絶反応をする人たちに、僕は反論する術を持たない。なぜなら、その通りだからだ。この二人の超有名作家が自らの命を削りながら一字一字刻むように書いたであろう代表作の関連性だなんて、それこそ象牙の塔奥の院に何十年もこもって研究している大先生でさえ言葉にすることを躊躇するような深淵なるテーマについて、僕ごときが論評するなんて、そんなおこがましいことが、それこそ狂気の沙汰、暴挙妄言と言うべき愚行が、許されるはずがない!と思うことは、良識ある教養人であれば当然の反応であります。難しい話は、大先生にお任せしましょうよ。私らは、大先生のお話を、お説ごもっともと有り難く頂戴すればよござんすよ。

 と、まあ、世の中の良識ある人々からいかに諭され、なだめられようとも、僕は、その愚行をやるのである。何と言われようが、やる。断固やる。なぜかって?なぜなら、大先生のご高説に不満だからに決まってる。そもそも、大先生の説にひれ伏す必要などどこにもないわけで、小説というものは、読者が好きに読めばよろしい。と言ってるそばから、ほらほら聞こえるじゃないか、大学の講義棟の奥から自信と威厳に満ちた声が・・・いいかね、諸君、これが正しい解釈なのだよ、君の読み方は間違っている、根拠がないんだよ、根拠を示したまえ、直感なんかで小説を読むんじゃないよ、大作家に失礼じゃないか、まったく素人はこれだから困るよ!そんなレベルじゃ、単位はあげられないな!

 前置きが長くなった。大先生の悪口はもうやめよう。要するに、僕のおろかな行為を笑って許してやってください、というわけだ。単位なんかいらないから、好きに読ませてくださいよ。無論、根拠なんて、何もありません。参考文献も先行研究も全然読んでません。だって、研究論文じゃないもの。一読者の素直な感想文に過ぎない。あれとこれは、ほら、ここが似てるでしょう、ね、これって面白くないですか、って程度のつまらない感想文ですよ。そんな素人の感想文に目くじら立てることもないでしょう。

 で、ここからようやく、人間失格と、カラマーゾフの話になる。実に長かった。でもまあ、それぐらい用心するに越したことはない。さて、人間失格。太宰が、ドストエフスキーとの関連性を念頭に置いていたことは、これはもう疑う余地はない。だって、小説の中で、大庭葉蔵に「罪と罰」に関する会話をさせているんだから。で、たいてい、解説書では、人間失格は、ドストエフスキーの「白痴」と似ている、という話になるのが相場だ。通説と言って良い。そこで、僕は、こう思わざるを得ないのだ。似てるか?と。どうにも、似ていないのである。そりゃ、大庭葉蔵という主人公のダメっぷりが白痴のムイシュキン公爵に似ているじゃないか、と言われれば、そりゃそうなのだが、どうにも、しっくりこない。「白痴=無垢の人=ムイシュキン=葉蔵」という連想は、「無垢の信頼心は罪なりや」という葉蔵のセリフに引っ張られ過ぎてしまった印象を否めないのである。葉蔵自身はべつに、無垢の信頼の徒などではないし(無垢の信頼の徒は葉蔵の妻ヨシちゃんである)、無垢の信頼のすがすがしさを守ろうとして守れずに傍観するしかなかったのであるから、葉蔵は「白痴=無垢の人」というよりも、もっと複雑な存在であろう。僕は、葉蔵の中に、ムイシュキン公爵のような白痴性だけでなく、「罪と罰」のラスコーリニコフのような破滅的な無神論的近代合理性をもあわせて感じるのである。また、葉蔵が無垢の信頼の徒であったとしても、それだけでは作品ラストの「あの人のお父さんが悪いのですよ」というマダムのセリフが効いてこない。僕は、このマダムのセリフこそが、人間失格の中心テーマだと思っている。それは何も「金木の殿様」の子として育った太宰の実際の生い立ち云々の作家論の話ではなく、そういうことではなく、文学的な象徴として、このセリフが作品のキーとなる重要な意味を持たされているという意味である。なぜ、作品のラストが「お父さん」なのか。「お父さん」とは何なのか、という問題である。まさか、ここで太宰が、自分の性格破綻は実父の愛情不足のせいだったのです、などと発達心理学の解説みたいなことを述べているわけがない。そんな馬鹿な話ではない。では、この「お父さん」とは何なのか。なぜ、太宰は、最後の最後に「お父さん」を登場させたのか。この問題に解答を与えない限り、名作「人間失格」は、ラストで宙ぶらりんになってしまう。

 そうなると、僕としては、「人間失格」は「白痴」に似てますねとか、「罪と罰」に似てますね、といった話ではないと思わざるを得ないのである。むしろ、「人間失格」はドストエフスキーの作品群の混合物みたいですね、と言う方がしっくりする。そこで、はたと思いあたるのが、「カラマーゾフの兄弟」なのである。カラマーゾフの登場人物は、父親のフヨードルと、三兄弟(ドミトリー、イワン、アレクセイ)であり、特にこの三兄弟は、ドストエフスキー作品群の主人公たちの面影といちいち重なる。長兄のドミトリーは、ロシア的呪縛から脱しきれない半ヨーロッパ的知識人として「悪霊」のスタヴローギンと重なるし、次兄のイワンは、無神論的近代合理主義の化身として「罪と罰」のラスコーリニコフと重なり、そして同作の主人公と言っても良い三男坊のアレクセイは、無垢な存在としての「白痴」のムイシュキン公爵に重なるのである。要するに、カラマーゾフは、ドストエフスキーの長編小説群の集大成である。僕は、他の長編小説群は、カラマーゾフの登場人物を具体化・典型化するための習作に過ぎなかったとさえ思っている。

 すると、ここで問題なのが、親父のフヨードルである。この人物は、いったい何者なのか。何の象徴なのか。が、その答えは、すでにドストエフスキー自身が、カラマーゾフの中で暗示している。フヨードルは、「ローマ式の鼻」の持ち主だった。すなわち、フヨードルは、古代ローマ文化の象徴であり、ロシアの土着文化に対置される近代ヨーロッパの「非キリスト教的人間中心主義」の象徴なのである(なお、僕としては、親父の名前「フヨードル」が、実はドストエフスキーの名前であることにも注目しているのだが、それはおいといて)。そしてもうひとり、カラマーゾフでは、象徴的な人物が登場する。悪女グルーシェニカだ。「ミロのヴィーナス」のような体を持つこの美女を、親父のフヨードルと長兄ドミトリーが奪い合うのである。では、なぜ、「ミロのヴィーナス」なのか。これも単なる美しさの修辞ではないと僕は思う。グルーシェニカが「ミロのヴィーナス」でなければならない理由があるのだ。意味のない比喩など小説には存在しない。比喩には必ずその理由がある。

 近代ヨーロッパにおいて、特に19世紀は、第二のルネサンスと呼ばれるほど、人間中心主義が高まった。いわゆる「天才の世紀」であり(今日天才と称される人々の多くが19世紀に集中している)、文学史で「19世紀ルネサンス」と呼ばれる人類史上最も人類が輝いた時代だ。封建的あるいはキリスト教的な既存の権威はすべて否定され、息の根を止められた。神までも殺された(死んだのではない、殺されたのである)。「非キリスト教的人間中心主義」の全盛期である。人類至上主義の時代と言って良い。人類は、ついに天上界の門をこじ開け、神を殺し、世界を支配した(と思いこんだ)。その思想的基盤となったのが、中世ルネサンスと同様に、古代ギリシャ・ローマの非キリスト教的文化であった。キリスト教がまだ生まれていない古代ギリシャ・ローマの姿こそが人類本来の自由な姿だと礼賛されたのである。

 二十一世紀の今日でも、ヨーロッパの知識人が古代ギリシャ・ローマ文化に抱く崇敬の念は強烈である。教会の支配におびえつつゲルマンの森の奥で無知文盲のままに数百年におよぶ「暗黒の中世」を徒過してきたヨーロッパ人にとって、古代ギリシャ・ローマは今なお燦然と光り輝き、彼らをコンプレックスのどん底に落とし入れるらしい。映画「ローマの休日」は、ローマという自由の都で、ヘプバーン扮する美しい王女が旧弊で伝統的な権威を全て脱ぎ捨て、一人の「人間」の女性として生きる姿を描いた。あの映画のすごみは、ヨーロッパ人の古代ギリシャ・ローマへの憧れを理解してはじめて実感できる。シェークスピア「ジュリアス・シーザー」の名文句、「ローマに王はいらぬ!」に込められたルネサンスの中心テーマをエンターテイメントとして再構成した名画である。単なるお姫様のお遊び物語ではないのだ。ナポレオンは古代ローマ式の凱旋門をパリに建設した。ヒトラー古代ローマ式の敬礼(ムソリーニが復活させた)をナチスの正式な敬礼として模倣し、パリ占領時にはわざわざ凱旋門を行進した。西洋哲学書の序文なんかでおなじみの“Standing on the shoulders of giants”(「巨人」の肩の上に乗って)の“giants”とは、古代ギリシャ・ローマのことであり、より具体的にはプラトンアリストテレスのことである。僕はむかし、ある教養あるアメリカ人女性とお国自慢の雑談をしていて、僕が「日本は神武以来二千年以上の歴史があるのです。」とつい自慢したところ、そのアメリカ人女性は、「アメリカだって古代ギリシャ以来三千年の歴史があるわ!」とえらい剣幕で反撃されたことがある。たかが建国二百年のアメリカ人が、古代ギリシャを自らの文化的祖先として自慢するのである。それくらい、ヨーロッパ人にとって(そして半ヨーロッパ人であるロシア人にとっても)、古代ギリシャ・ローマへの文化的憧憬は絶対的なのである。19世紀は、その憧れの古代ギリシャ・ローマ文化が現実化した奇跡の時代だったのだ。

 けれども、人類は、ついに神に負けることになる。人類は神になれなかった。それどころか、自らの矮小さ、不完全さを思い知らされて、二十世紀を迎えることになる。「人類の黄昏」、すなわち「世紀末」である。最近は知る人もあまりいないようであるが、「世紀末」という言葉は、本来、絶望に満ちた19世紀末のことだけを指す文学用語なのである。神の座す天界をめざして燃え上がるゴッホの糸杉は嵐のように不気味に渦巻きうごめく闇空に阻まれ、超人を渇仰したニーチェは狂死しなければならなかった(そしてその後まもなく、人類は世界大戦で史上空前の大量殺戮の愚行を繰り広げ、人類ご自慢の合理主義・科学万能主義さえも不確定性原理によって止めを刺されるのである)。そういう世紀末の絶望的情景が舞台の遠景として配置されていることを頭に置いておかないと、世紀末文学の黒々とした深淵はなかなか見えてこない。

 世紀末に生き、世紀末と渾身で戦ったと言っても良いドストエフスキーが、「ミロのヴィーナス」(=古代ギリシャ)であるグルーシェニカを登場させている理由は、まさにこの世紀末という絶望的情景にこそあると僕は思う。親父フヨードル=古代ローマ、悪女グルーシェニカ=古代ギリシャという象徴を配置することによって、カラマーゾフの情景が、一気に、世紀末ロシアの絶望の翳に覆われるのである。繰り返すが、小説に、無駄な比喩などはない。それは、比喩だからこそ、重要なのである。直接的表現で描写するわけにはいかないからこそ、作家は、苦肉の策で、比喩によって、情景の中に象徴を配置するのである。そして、このグルーシェニカを、親父フヨードルと長兄ドミトリーとが奪い合うのである。古代ローマにとっても、古代ギリシャは憧れの対象であった。ローマ人は、ギリシャ人の美と知性をはげしく愛し、そしてはげしく嫉妬した。古代ローマの象徴であるフヨードルが、美しいグルーシェニカにのぼせるのも当然なのである。一方、長兄ドミトリーは、親父譲りの非キリスト教的人間中心主義を引き継ぎつつも、旧弊なロシア的呪縛から脱し切れない当時のロシアのインテリ階級の象徴(=スタヴローギン)であり、親父同様に古代ギリシャの女神グルーシェニカに憧れつつも、その恋が成就することはなく、親父との女神の奪い合いの果てに、親父殺しの疑いで牢獄に入ることになるのである。親父フヨードルの殺害は、すなわち、「古代ローマ=非キリスト教的人間中心主義=19世紀ルネサンス」の死である。ドストエフスキーは、フヨードルを殺すことで、絶望の世紀末が到来した当時のロシアの情景を描こうとしているのである。そこで問題となるのが、では誰が、フヨードルを殺したのか、ということである。

 カラマーゾフの後半部分は、このフヨードル殺しの犯人探しに関する謎解きのような様相となり、法廷推理小説として読むだけでも非常に面白いのであるが(そこがまたドストエフスキーのプロ作家としてのえらさでもあるのだけれども)、ドストエフスキーの死により、真犯人は謎のままである。ドミトリーは逮捕されて裁判にかけられるけれども、ドミトリーがフヨードルを殺したとすると、古代ローマ古代ローマを殺したということになってしまい、小説のテーマが「古代ローマの自殺」ということになってしまう。それじゃ小説として破綻する。フヨードル=古代ローマを殺した犯人とは、言い換えれば、19世紀ルネサンスの人類を敗北させた何者かであり、そうなるともう、犯人は「神」しかいない。が、いくらなんでも、神を殺人犯にするわけにはいかないであろう。ではどうするのか。「神」の代わりに、「人間に内在する限界=神になれない不完全性」を、犯人にするという方法もあろう。古代ローマは神に負けたのではなく、自らの不完全性の故に自滅したのだ、という論法である。その場合、真犯人は、無神論的合理主義の塊のような次兄イワンということになりそうだ。無神論的合理主義は、「古代ローマ=非キリスト教的人間中心主義」が行き着く果ての究極の人間至上主義である(その最終形態が共産主義であり、さらにその先にあるのが「悪霊」に登場する「人神」であろう)。次兄イワンを真犯人にするということは、古代ローマの究極である無神論的合理主義が内在的に不完全であったために人類は自滅した(=神に敗北した)、ということを意味する。が、しかしそれでは、「罪と罰」で描いたラスコーリニコフの犯罪と同じテーマになってしまう。それじゃ、わざわざ苦労して大著カラマーゾフを書いた意味がなくなる。では、最後に残った三男のアレクセイが真犯人なのか?アレクセイは、ロシア正教に身を捧げる「無垢の人」である。そのアレクセイが父親(=古代ローマ)を殺すというのは、いかにも無理がある。むしろ、ドストエフスキーとしては、キリストの正統な継承者と自負するロシア正教が新しく生まれ変わり、瀕死のロシアを救う姿をアレクセイに託したかったのではないか、と僕は思う。それくらい、ドストエフスキーの描写には、アレクセイへの期待と愛情がにじみ出ている。

 では、古代ローマを殺した真犯人は、誰なのか。今さら真犯人探しをしてもはじまらないが、まあ、話のついでということで、続ける。中世ルネサンス以来、「古代ローマ=非キリスト教的人間中心主義」が徹底的に攻撃してきたのは、ローマ・カトリックバチカン)である。バチカンにしてみれば、古代ローマを殺す理由が十分にある。何せ、19世紀ルネサンスにおいて、自らの信奉する神を殺されかけたのだから。ドストエフスキーにしても、「大審問官」の章においてバチカンを手ひどく批判しているくらいだから、フヨードル殺しの犯人役をバチカンに押し付けるという曲芸もあり得ないことではない。あるいは、どうにも救いがたいほど頑迷な土着のロシア的精神(「悪霊」のイワン皇子を象徴とする救世主信仰など)を古代ローマ殺しの犯人に仕立てることもできるだろう。カラマーゾフの登場人物で言えば、フヨードルを父とする私生児と噂されるスメルジャコフ(ヨーロッパ文化に隷属するロシア的精神の象徴)が適役である。実際、小説中でも、スメルジャコフは、ほとんど真犯人あつかいされた挙句に自殺してしまう。スメルジャコフがフヨードルを殺した真犯人だとすれば、スメルジャコフに象徴される陰鬱なロシア的精神が、「古代ローマ=非キリスト教的人間中心主義」の輝きを抹殺したということになる。そして、それは同時に、ドストエフスキー自身が、愛すべき母国ロシアの伝統的精神に絶望し、その近代的再生を既にあきらめてしまっていることをも意味するだろう。スメルジャコフの自殺は、ロシア的精神の絶望の果ての自滅ということになる。が、それでは小説に救いがなくなってしまう。ドストエフスキー母国ロシアの救いのためにカラマーゾフを書いているのだから、やはり、スメルジャコフの自殺は、ロシア的精神が再生するための儀式として積極的意義づけを与えられるべきであろう。そうなると、スメルジャコフ真犯人説にも疑問符がつく。

 いやいや。犯人捜しはもうやめよう。きりがない。謎は謎のままで良いのだ。ずいぶん長々と19世紀ルネサンスの話をしてしまったが、要するに、カラマーゾフの親父フヨードルは、「古代ローマ=非キリスト教的人間中心主義」の象徴だということを言いたかったのである。さて、そこで、人間失格の話である。小説ラストの、マダムのセリフ「あの人のお父さんが悪いのですよ」の「お父さん」とは何者なのか。無論、太宰の実父である津島源右衛門のことなどではない。そんなわけはない。この「お父さん」は、フヨードルであり、「古代ローマ=非キリスト教的人間中心主義」の象徴なのである。太宰は、言うまでもなく、芥川から強い影響を受けた。芥川は、「19世紀ルネサンス」と、その敗北である「世紀末(人類の黄昏)」に、正面から向かい合った作家である(そういう芥川の系譜につながる作家として、太宰、三島由紀夫安部公房がいるが、その後はどうやら途絶えたようである)。芥川の代表作「羅生門」で、「或る日の暮れ方」に羅生門前でたたずむ下人の姿は、世紀末の「人類の黄昏」にうなだれる敗北した人類の姿そのものなのである。そういう芥川に影響を受けた太宰は、世紀末の超克をめざした。いや、逆に、世紀末を超克しないことをめざしたとでも言うべきだろうか。そもそも、世の中の誰も、世紀末の超克なんて、めざしてなんかいないのである。世紀末だのルネサンスだのと騒いでいるのは、ほんの少数の文学者くらいで、たいていは、日々の暮らしに一生懸命で、そんな貧乏書生の暇つぶしみたいな抽象論には何の興味もないのだ。しかし、19世紀ルネサンスは、そういう生活者の日常の超克をめざしていた。何せ、神を殺して、人類がその座につこうと本気で考えていたのである。人が神になる!おそるべき野望である。一世紀間にわたり、天才たちの悪戦苦闘が繰り広げられた。けれども、人々は、何も変わらなかった。変わったことと言えば、19世紀ルネサンスの「鬼子」である共産主義が世界中で荒れ狂い、それと同根の双生児であるファシズムが不気味に胎動をはじめていたが、そういうことにも大衆は何の危機感も感じていなかった。が、それでいいのである。何もしなくていい。世紀末の超克?ばかばかしい。人間は、生きていれば、それでいいんだ。醜く、矮小で、つつましい生活者。けっこう。それこそが人間だよ。と、これが、太宰の結論なのである。ほとんど、やけくそである。

 けれども、つつましい生活者こそ人間だと結論しながら、太宰自身は、どうしても、そういう人間にはなれなかった。あくまで、新しい人間を求めた。空襲の焼け跡の中から、世紀末を超克し、神と対等に向かい合う新しい人類の出現を期待した。だから、「人間失格」なのである。神と対等になろうとするような不届き者は、「人間失格」の烙印をおされて、神に対する罪人として地獄に落とされるのだ。大庭葉蔵は、そういう太宰の分身である。葉蔵の中には、「古代ローマ=非キリスト教的人間中心主義」を夢見る芸術家(画家)、無神論的合理主義に感化された活動家(共産主義)、そしてキリスト教的な無垢の信頼への憧憬(ヨシちゃんへの愛)のすべてが同居している。これらは、それぞれ、ドミトリー、イワン、アレクセイのアナロジーである。すなわち、葉蔵の中には、カラマーゾフの三兄弟が同居しているのである。そして、葉蔵は、そのすべてにおいて敗北する。敗北して、周囲のまっとうな生活者たちを悲しませ、迷惑をかけ、苦しめるだけの存在である。神に逆らうことは罪である。けれども、神に従う従順な生活者として日常生活を送ろうとすればするほど、敗北者として世の中から罰をうけ、血を吐き、狂人として監禁されるのである。罪と罰。逃げ場所のないアントニム。もう、葉蔵の中には、何も残っていない。すっからかんである。人間の抜け殻。廃人。葉蔵の何が悪かったのか。いや、葉蔵は、何も悪くない。太宰は何も悪くないのだ。が、ただ、ひとつだけ、彼の責任ではない過ちを犯した。それは、「古代ローマ=非キリスト教的人間中心主義」という芸術上の「お父さん」を知ってしまったということである。太宰は、その身を焼き焦がすような燦然たる19世紀ルネサンスの天才たちの恍惚を知ってしまったが故に、ただそれだけのために、人生を棒に振り、神に対する罪人となった。だからこそ、バーのマダムの言うとおり、「お父さん」が全部、悪いのである。そして、こんなろくでなしの「お父さん」さえいなければ、葉蔵は、神の怒りに触れることもなく、聖書の中の清き人々のように、神の祝福を受けていたであろう。

 と、いうことで、ずいぶん長い話になってしまった。でも、ほら、どうです、こうして見ると、人間失格と、カラマーゾフは、似てるでしょ。え?全然似てない?そんなわけはないんだが。はい。すみません。そんなに怒らないでくださいよ。けれども、僕は、これだけは自信を持って言えるんです。葉蔵の苦しみは、象牙の塔にこもっている大先生よりも、我々のように、若き日の一時の芸術的熱情にまどわされて、せっかくの人生を棒に振った哀れな文学青年くずれの方が、よほど実感していると。

 

 

 

 

 

土師和夫 初期作品集「極東浪漫座論」 full text

 極東浪漫座論  Far East Romantic Saloon

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1.極東浪漫座論  

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2.Y氏の弁明

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3.S君の駆け落ち

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4.少数者への手紙

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5.ハッピードリームランド

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